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PROFILE

アウトストラーダ代表

パトリック・カワスジー


1951年京都府生まれ。
1968年横浜インタナーナショナルスクール卒業後、渡米。
カリフォルニアの大学および、大学院を経てスイス銀行ニューヨーク支店入社。
1981年米投資銀行ソロモンブラザースの東京支店開設チームで来日。
以後証券、投信投資顧問、保険、銀行業務などあらゆる金融部門で貢献。

【アウトストラーダ】
1989年に立ち上げ、1991年に
株式会社として営業開始。

アウトストラーダの
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EXOTIC-CAR INTERVIEW
EXOTIC-CAR INTERVIEW File.02 パトリック・カワスジー

大きな看板もなく道路の角にそのワークショップはあった。
オーナーのパトリックさんは隙のないスーツ姿でにこやかに現れた。
本業の外資系金融の世界に長くおられるからか、物腰の柔らかなダンディーだ。

京都生まれ、東京、横浜育ちの米国籍。大学はカリフォルニアへ、その後ニューヨークウォール街で金融の世界に入り、81年から東京で活躍する。
「学生の頃から好きで乗っていた車を日本でも乗りたい」
と、カリフォルニアにおいていた車を移送する。これがアウトストラーダの始まりだったのかもしれない。その車は、フェラーリ・ディノ246GTS。

「持ってきたのは良かったのですが、それを日本の環境で走らせるまでが大変でした。」
当時はバブル経済の華やかかりし頃、欧米では一個2万円の部品が日本では倍以上したとか。

「当時の日本には、ヴィンテージカーの知識と経験を備えた総合専門ショップが少なく、ベストコンディションで楽しむことが困難でした。だから自分でやるしかないと思いました。
フェラーリやランボルギーニの手入れを趣味的に行うことは楽しみの一つですが、技術的な知識を要する部分に関しては総合的な専門ショップが不可欠です。
欧米では特殊な車に関する知識とネットワークが幅広く行き届いている為、それを自分の趣味の延長に取り込み、理想的なショップを日本で開くことに至ったのです。」


こだわりとして、日本の環境の中で生産当時の目標とされている性能を発揮するためには、通常の整備以外に改良も必要とされる場合があるが、規格を損なう改造は避けるべきだと氏は語る。

「私は各種モデルのオリジナルコンセプトデザインのピュアなラインにこだわり、その美しさを維持しつつ、オリジナルの性能を追求していきたいのです。」

ヴィンテージカーは、ある程度の量産がされていたにも関わらず、手作りの感覚が非常に強いという。ボルト一つ一つメカニックの手による微妙な調整が必要であったり、オリジナルの規定を超える行為は専門的な配慮が必要です。
日本の様々なシチュエーションで、ヴィンテージカーを走らせようと思ったら、それなりの手入れと調整が必要になるのは当たり前、そんな人たちがパトリックさんのショップを聞きつけ集まりだす。

大都会の東の外れにあるというそのガレージ。看板も受付も、ましてやショールームもない店構え。ショップに行ったら勇気を振り絞ってメカニックの人に声をかけてみよう。運が良ければオーナーに会えるかも。

隠れ家的なガレージながら、規模と内容の濃さではどこにも引けをとらないだろう。

整備中の内の二台、フェラーリ308、ジャガーEタイプ。その他ランボルギーニ・カウンタック、F355なども。

パトリックさんの愛車のランボルギーニ・ミウラP400S。

自分のガレージを立ち上げて2年後の91年、会社としてのアウトストラーダがオープンする。
「やるからには、専門的で良心的なワークショップにしたかった。アウトストラーダの商品車は、最低3千キロ6カ月保証しています。」
と氏は語る。

例を挙げると、アウトストラーダの商品車は他社より若干高めな価格設定となるが、専門ショップである為、エンジン駆動系、足回りブレーキ、電気系統、内装とボディに最善の注意と整備が施されている。保証とアフターケアにより乗り出しの安心と機能性が伴う。販売のみならず定期メンテナンスから修理、フルレストアまで手掛ける総合ショップなのだ。

「あらゆるコンディションの中で、安心して走行できるようにするのがショップの責任だと思います。当社はショールームではなく、ワークショップです。熟練したメカニックが直接お客様のニーズに対応します。だから顔の見える整備が出来ますし、お客様の細かいニュアンスも私たちに伝わるのです。」

カワスジー氏はディノ以外にもランボルギーニ・ミウラP400Sを二台所有している。
なぜ性能も上で年式も新しいSVではなく、Sが二台なのか。
「この車のデザインは40年前のものですが、時代を感じさせないとともにアールデコの香りもする。初期型のP400は475台生産され、その後オリジナルデザインを維持しつつ、機能的な改良が加えられたP400Sはわずか140台の生産。後期型P400SVは150台生産され、さらに改良がされたがデザイン変更も加えられ、オリジナルのミウラのルックスが失われた部分もあります。私はオリジナルコンセプトデザインのピュアなラインにこだわると先ほども言ったように初期のデザインを維持したSにこだわるのです。」
自分の明確な哲学を持っているオーナーに所有される車は幸せである。

「アメリカの友人がニューポートビーチのガレージで気軽に集まれるオーナーズクラブを作ったんですよ。そのようなコンセプトも持ちつつ自分もこのガレージを作った頃は、お客さんと集うイベントを行っていました。ショップでの軽食会や日帰りの走行会などを行っていました。その後本業が忙しくなったので、このようなイベントもなかなか成立しなかった時期が続きました。
また始めたいのですが、今はガレージの隅にテーブルをおいて車談義できるようにしています。ホイールやタイヤも椅子替わりにしてコーヒーを飲みながら歓談しているんです。」

と楽しそうに語るカワスジー氏。

最後に聞いてみた、氏にとってエキゾチックなスポーツカーとは、と
「私が学生の頃(60年〜70年代)に憧れたデザインと機能性が個性的でスパルタンなヴィンテージスポーツカー」

僕らは今、本物のエンスーを目の前にしている。